「神は人となられた」  06.01.29
               ガラテヤ4:1〜7

  学園ドラマには、生徒のところに飛び込み、生徒の抱える問題や
悩みに一緒に向き合う熱血先生が登場します。
 このような学園ドラマが、何度となく放送されてきたのは、熱血
教師のような存在を、人が必要としているからかもしれません。
 そして、そんな熱血教師の姿を見ながら、私はイエスさまのことを
思い出します。
  神の独り子が、それに固執しようとはせずに人と同じになって
くださった(フィリピ2:6〜8)のです。クリスマスの出来事には、人と
離れた所でじっとしていることが出来ず、私たちのところに飛び
込んできてくださったイエスさまの熱い心が詰まっています。
 人のところに来て、人と同じところに身をおいてくださったの
ですから、イエスさまは、私たちの経験する試練、辛さ、悲しみや、
人間のもろさ、情けなさ、頼りなさに同情できない方ではなく、
分かってくださる方です(ヘブライ4:15〜16)。神さまの前でカッコを
つけたり、自分を誤魔化す必要はありません。
 私たちのことを分かってくださる方が、それでも命を懸けて
愛してくださったのです。
 私たちは、イエスさまを知るゆえに遠慮なく、神さまに信頼して
生きられます。
 神の独り子が人となられたのは、人に同情するためだけでは
ありません。贖い出すためです。人を罪と死の世界から、神さまの
下へと移し出すために、人の手を引っ張ろうとして人のところに
来てくださいました。ご自分が十字架で人のすべての罪を担って
死に、復活されたことで、私たちに罪と死ではなく、神のご支配の
下に移していただく道が開かれました。
 人の死を目の前にする時があります。そんな時にも、人と同じに
なられたイエスさまを思い起こします。

 イエスさまもその人と同じ、人の死を味わわれました。
 しかし、そこから死を超えて復活されました。それは神の独り子
だけに起こることではありません。
 それは、「初穂」として甦られたのであって、キリストにあって
眠っている人もそれに続くのです。
 人となられたイエスさまによって、復活の希望が与えられて

います。